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東京地方裁判所 昭和37年(ヨ)2103号 判決

申請人

宮本俊子

山岸茂之

右訴訟代理人弁護士

中村洋二郎

浜口武人

笠原郁子

真部勉

角尾隆信

被申請人

株式会社仁丹テルモ

右代表者代表取締役

森下泰

右訴訟代理人弁護士

浅田清松

主文

一、申請人宮本が被申請人に対し労働契約上の権利を有する地位を仮りに定める。

二、被申請人は、申請人宮本に対し四九、九五〇円及び昭和三七年二月以来本案判決が確定するまで毎月二五日限り一カ月九、九九〇円の割合による金員を支払え。

三、申請人山岸の申請を却下する。

四、申請費用中、申請人宮本と被申請人との間に生じた分は被申請人の負担とし、申請人山岸と被申請人との間に生じた分は申請人山岸の負担とする。

事実

第一、申請人らの求める裁判

申請人宮本は「主文第一、二項同旨」

申請人山岸は「申請人山岸が被申請人に対し労働契約上の権利を有する地位を仮に定める。被申請人は、申請人山岸に対し、六二、〇〇〇円及び昭和三七年二月以来本案判決が確定するまで毎月二五日限り一カ月二一、〇〇〇円の割合による金員を支払。

第二、申請理由<以下省略>

理由

第一、被申請人会社が各種体温計の製造販売を目的とすること、申請人宮本が昭和二七年八月五日、申請人山岸が昭和二一年八月八日いずれも期間の定めなく雇傭されたこと、会社が、昭和三六年八月二九日申請人宮本に対し配置転換不能の理由で同月三一日を以つて解雇する旨同年一一月三〇日申請人山岸に対し職務上の指示命令に従わないとの理由で解雇する旨、それぞれ意思表示したことは当事者間に争がない。

第二、申請人ら解雇に至るまでの経緯

一、水銀中毒事件の発生と会社及び組合の対策

<疎明―省略>に当事者間に争ない事実(以下〔〕で囲む部分)を総合すると次のとおり認められる、

1  (従前の会社の対策)

会社においては、昭和二八年頃から昭和三五年一二月頃までの約八年間、体温計製造工程中の水銀取扱職場の従業員から水銀蒸気による慢性中毒患者約一四、五名が発生した。当時水銀中毒は労働基準法施行規則上「業務上の疾病」に指定されながらその認定に明確な基準を欠き、水銀中毒の診断を得ても、労災保険の適用を受けることが容易でなかつたが、会社はこれらの水銀中毒患者について、会社の費用負担でその都度必要な投薬、転地湯治療養等を実施し休業補償を給付して来た。とくに、昭和三〇年五月から工場衛生の経験ある専門医松村猛夫を嘱託医に迎えるとともに、労使で構成する生産労務協議会で組合側と協議の上、嘱託医により水銀中毒と診断された者については、仮令労災保険の適用を受けられない場合でも治療費、休業補償等を会社の全額負担として支給することを明らかにし、爾来毎年定期健康診断一回、特殊健康診断二回を実施し、また健康相談に応じて患者の早期発見に努めてきたが、長期間加療しても治癒せず、就労不可能な者は、労災保険による打切補償の給付を待たずに会社がこれを支給し、併わせて特別慰労退職金を支給して解雇していた。また、昭和三〇年頃には工場内の水銀蒸気による汚染度を測定し、その結果に基き換気扇等の局所排気装置を増設し、水銀粒子の飛散防止及びその完全清掃を図るため作業台、木造床等を改善し、充填作業の方法を改良した。

2  (工場改築に伴う水銀中毒患者の多発と会社及び組合の応急対策)

〔昭和三五年一二月、会社は木造工場を鉄筋コンクリート工場に改築し使用を開始したところ〕木造当時に比べて、コンクリート床のため取扱中誤つて落した体温計が破損し水銀粒子が広範囲に飛散し易く、さらに全館熱風暖房の採用により飛散した水銀の気化が促進され、加えて排気装置に計算上の誤があつて換気が不完全であつたため、工場内の空気の水銀蒸気による汚染度が高まつた。翌三六年二月頃に至り頭痛等を訴える従業員が急激に増加したので、会社は工場を調査した結果、上記の如き施設上の欠陥に原因することを知り、設計係を中心にして暖房用バーナーの使用低減、自動温度調節装置の設置、熱風送風系統の改善、換気装置の完全作動を図ることなど応急対策を樹立し、三月中旬迄にこれを実施した。

一方組合では、前記の如き患者の多発する事態に直面し、会社の安全衛生管理委員会に阿川城行委員長も構成員となつて二月から三月にわたり工事上の欠陥につき意見を具申してその改善を要求し、さらに五月中に開催した組合大会の決議に基き同月二六日生産労務協議会で嘱託医による特殊健康診断の早急実施等四項目を会社に要求していた。しかし、その間も患者の発生が続き、二月から六月初旬までに松村嘱託医から水銀中毒の疑ありと診断され加療を受けるに至つた従業員は約二〇名に達していた。

3  (事態の表面化と会社及び組合の対策)

〔同年六月一三日、読売新聞が会社の水銀中毒の状況を報道するや、その直後所轄労働基準監督署が会社の工場施設を調査し、その結果水銀蒸気の最大許容量は空気中一立方米当り〇・一三ミリグラムのところ、工場内が〇・四ミリグラム、所によつて一・二ミリグラムに達していることが測定された。そこで会社は、さらに換気装置の完備を図り従業員全員の特殊健康診断を実施するなど九項目の対策を講じ、まず、組合との協定に従い東京労災病院を指定して六月二〇日から七月一日まで全従業員受診の建前で特殊健康診断を実施した。〕右協定は六月一六日会社と組合間に結ばれたものであつて(以下「六・一六協定」という。)その内容は、従業員全員の特殊健康診断を東京労災病院にておいて行う、会社の指示に従つて治療する者については治療費、休業補償費は会社の全額負担とし、会社の承認なく又は指示に従わず転医転療養した者については就業規則に規定する限度で補償する。など六項目に及ぶが、健康診断につきとくに東京労災病院を指定したのは、同病院の性格を考慮した上、水銀中毒症につき従来とかく不明確な「業務上の疾病」の認定基準につき客観的資料を集積提供して、将来労災保険の完全適用に資するためであつた。会社は、前記の期間同病院において従業員約四五〇名について第一次スクーリング検査を実施し、八月五日検査の結果として精密検査を要する者三七名(後記大沢、倉田、保坂を含む)の通知に接したので、これらの者(右三名を除く。)につき同月七日から同月二四、五日頃迄の間に精密検査を実施し、その結果療養を要するとされた者約二七名には即時療養させたが、その中には既に会社において水銀中毒の疑により加療中の者も多数含まれていた。なお、会社は、同年九月中に社内に医務室を開設し、医師一名をもつて毎週三回診断治療に当らせ、看護婦二名を常動させて尿等の科学検査を実施させることとした。

次に工場施設上の対策としては、水銀粒子が飛散気化し易い「銀詰」「遠心機」その他の作業場における換気、排気施設の改善、体温計の破損等による水銀粒子の飛散を防止するため床を緑色ロンリユーム張りとし、専門掃除夫を配置する等の計画を樹立して六月三〇日労働基準監督署にその内容を報告し、七月始めから着工して九月上旬には全工事を完成した上、同月一八日右改善個所の外全作業工程について労働基準監督署の検査を受けこれに合格した。

二、水銀中毒事件に対する申請人らの言動

<疎明―省略>並びに当事者間に争ない事実を総合すれば、次のとおり認められる。

1  (申請人宮本について)〔申請人宮本は、昭和三三及び三四年度組合常任委員に選出され、昭和三四年度初代婦人部長に就任(昭和三五年度も常任委員、婦人部長に選出されたが辞退。)する等の組合経歴を有し、〕かねて頻発する水銀中毒患者の治療対策につき会社の誠意に疑を抱いていたところ、昭和三六年六月一三日読売新聞が会社の水銀中毒事件につき報道したのを機会に申請人山岸とともに、水銀中毒の疑により会社嘱託医から治療を受けていた従業員数名に代々木病院で診療を受けるよう勧め、同月下旬頃、従業員倉田純江、保坂君子に同病院に紹介して診断を受けさせたところ、水銀中毒症であるとして、倉田は八月七日入院の上、保坂は通院して同病院で加療するに至つた。なお従業員大沢俊子は、申請人宮本から紹介される以前から代々木病院に通院加療していたが、六月七日水銀中毒の疑があるとの診断を受け、会社嘱託と同病院の双方から治療を受けていたが、八月四日に至り同病院に入院した。〔そして右三名の者は労災病院で実施する精密検査に応じなかつた。〕

また、申請人宮本は組合の婦人部長在任当時から地区の労働組合等外部団体との交流活動に熱心であつたが、七月初旬頃には渋谷地区の民青に加入し、水銀中毒事件の表面化に伴い、地区の労働組合から成る「代々幡労懇」でもこれを取り上げ、八月初頃には「対策協議会」を設けて会社に抗議する等の活動を行なつたが、申請人宮本もこれらの集会に出席してその活動に同調した。そして、水銀中毒事件に対する組合執行部の態度を会社に迎合するものとしてこれに不満を抱き、八月八日組合執行部が一般組合員との懇談会を開き、水銀中毒の防止について、会社に要求した諸対策及びその実施経過を報告し、意見を聴取した際、「病院を選択するのは個人の自由ではないか。また委員長は、代々幡労懇で水銀中毒問題はすべて解決したと述べたが、事実と反するではないか。」「精密検査の結果を従業員に秘匿していたではないか。」「病院を選ぶのは個人の自由ではないか。」等と追及し、その後も、休憩時間中に職場で或いは終業後会社の門前などで、組合員に対し御用組合では頼りにならないから代々木病院で診療を受けるようにと頻りに勧めた。

2  (申請人山岸について)〔申請人山岸は、昭和三六年一月一日管理部資材課倉庫係主任に就任するまで組合員(昭和三五年度常任委員、賃金対策部長に選任されたが辞退した。)であり、)かねて水銀中毒患者瀕発の事態につき会社の対策に不信の念を抱いていたが、同年六月初頃、申請人宮本から代々木病院の存在を教えられ、六・一六協定の前後を通じ右宮本と同調して水銀中毒の疑ある従業員約一〇名に代々木病院で診療を受けるように勧め、前記倉田、保坂を同病院で加療するに至らしめた。

その後、(九月三日にはN・H・Kテレビ「日本の素顔″職業病″」に出演して「大勢の人が次々に水銀中毒にかかつてゆくのに、会社からは何の補償もなく、自分からやめてゆく状態だけを沢山見ている。しかも会社は全く水銀中毒だと云わない。他の医者にかかろうとすると会社は嘱託医と結托しておどかす状態である。それで可愛想で見ていられなかつた。」旨発言し、一〇月三日幡ケ谷区民館で開かれた民青主催の「集い」に出席して会社の水銀中毒問題を訴え、社会正義のため、会社ともあくまで斗う旨発言した。)

三、申請人らの上記言動に対する会社及び組合の態度

前記<疎明―省略>を総合すれば次のとおり認められる。

1  (申請人宮本に対して)

八月八日開催された組合懇談会で、申申請人宮本が前記のように組合幹部を追及したのに対し、阿川執行委員長及び柏瀬委員は六・一六協定で定められた東京労災病院以外で診療を受けることは組合の統制を紊す行為であるから、そんなことを云う者は組合員をやめてもらはなければならないとの趣旨の反駁を加えた。また、会社の菅庶務課主任は八月中頃、阿川執行委員長ら組合幹部は同月一五日頃と一七日の二回代々木病院に入院中の前記大沢、倉田を訪ねて六・一六協定に従つて労災病院の精密検査に応じ会社嘱託医の治療を受けるよう説得し、阿川らはその頃保坂に対しても同様の説得をしたが、いずれも拒否された。そこで組合は八月一七日午前懲罰委員会を開き、申請人宮本を始め、大沢、倉田、保坂らに統制違反の行為ありとし、倉田を除く三名の除名を決議した。

会社の藤川課長は、同日午後四時頃及び翌一八日申請人宮本を呼び出して勤務状態につき注意するとともに同人の従前の職場で過員となつたが配置転換が困難である旨を示唆し、希望職種等を尋ねた。申請人宮本は組合の除名にひき続いて会社の意図も水銀中毒問題に対する前記批判活動を嫌悪して暗に退職を求めたものと判断し、不服の態度を示して明確な返答をしなかつたところ、翌一九日藤川課長は同人に対し自宅待機を命じた。

同月二一日申請人宮本は谷村弁護士を同道して出社し、藤川課長に右自宅待機命令の真意を質し、早急に職場復帰をはかるとの言質を得て帰宅した。

その後会社は同月二五日人事課員加藤昌宏を、翌二六日菅庶務課主任を同人の自宅に派遣して出社を命じたが(二五日には本人不在のため家族に伝言して)、両日とも出社しなかつた。申請人宮本は二八日に至り出社したので、藤川課長から同人に出社しなかつた理由を質したところ、同人は「そんなことに答える必要はない。正当な行動を取つたまでだ。」と説明を拒否し、間もなく退席してしまつた。そして翌二九日会社は前記のとおり申請人宮本に対し解雇の意思表示に及んだものである。

2  (申請人山岸に対して)

会社の戸沢常務取締役及び藤川課長らは、七月中頃、菅主任から、前記大沢ら三名が代々木病院で診療を受けるようになつたのは申請人両名の勧奨と紹介によるものである旨の報告を受けていた。そこで藤川課長は、八月一一日申請人山岸を呼び、右行動の非を指摘して自発退職を求め、退職後の就職斡旋を約して履歴書を提出させ、翌一二日以降九月七日まで有給休暇をとつて自宅に引きこもらせた。

その間において、菅主任は八月三〇日申請人山岸方を訪れ同じ会社職制としての同僚の立場から右行動につき同人の反省を促し、会社に忠実な言動をとるよう求め、翌三一日には、戸沢常務が申請人山岸を自宅へ招いて管理職としての態度を注意し、併わせて会社のため代々木病院で加療中の者が指定病院で精密検査を受けるよう仲介の労をとることを依頼し、同人もこれを了承した。

会社は九月八日出勤した申請人山岸を管理部庶務課に配転し、菅主任をして監督させることとした。(これに相前後して前判示のとおり九月三日のN・H・Kテレビ番組及び一〇月三日の「集い」における申請人山岸の発言があつた。)

会社では、申請人山岸が度々の注意にも拘らず反会社的行動を改めないものとみて、一〇月二五日戸沢常務が同人に注意し、反省を求めるべく自室に呼んで「管理職としての君の勤務態度について聞きたいことがある。君の今日まで取つて来た行動をどう思うか。」と問うや否や、同人は憤然として「普通に勤務している。そんな話なら聞く必要はない。」と言い残して退席してしまつた。居合わせた藤川課長、菅主任の取りなしで再度戸沢常務のところへ出向いたが、一向に態度を改めた様子もなく「菅主任が謝りに行つて来いというから来た。」と言つたので、戸沢常務は、もはや説得の余地がないと判断し、「お前のような態度をとる者はもう会社の従業員とは思わない。」と叱責して即座に退室を命じた。

翌二六日、出社した申請人山岸は藤川課長との間で前日の言動をめぐり、山岸「やめさせたいなら解雇理由を書け。」藤川「常務が使わないと云うのに出社するのは命令違反だから帰れ。」など相互に感情に走つた口論をし、このため、翌二七日以後出社せず、一一月二〇日及び三〇日に会社から出社するよう命ぜられたがこれに従わないでいたところ、前判示のとおり同月三〇日解雇されたものである。

四、以上の認定に反する疏明はすべて採用しない。

第三、会社主張の解雇理由について。

一、申請人宮本について、

1  (無断欠勤、勤務成績不良)

〔申請人宮本は昭和三六年一月六日から三月末日まで出産休暇をとり、引続いて四月一日から五月一一日まで約四〇日間欠勤し、五月一二日出社とともに生産第二課に配置換えされ六月二〇日業務課発送係に配置換えされたが、七、八月中にも数日欠勤した。〕会社は右四〇日間は無断欠勤であると主張し、申請人宮本が右欠勤につき就業規則(弁論の全趣旨から成立を認められる乙第九号証)所定の届出をした疏明はないけれども、単に届出を欠いただけでは直ちに就業規則七四条一号の懲戒解雇事由「正当な理由なしに引続き一四日以上無断欠勤したとき。」に該当するとは云えないのみならず、約四〇日の長期にわたる欠勤期間中はもとより出勤直後においても、会社において右欠勤を不当として問題視した形跡の片鱗も窺いえないところからみると、当時会社はこれを出産休暇に引続く産後の療養育児等のための「正当な理由」による欠勤扱いとしていたものと推認できる。

次に<疎明―省略>によれば、申請人宮本は業務課発送係に配置換え後も七、八月中に無届三回を含めて七日間欠勤し、過去に包装作業の経験を有していながら包装交換その他の出荷作業において比較的低能率であつたことが一応認められる。

2  (職務上の指示命令違反・上司に対する反抗的言動)

申請人宮本が会社の自宅待機及び出社命令並びに藤川人事課長との応接に際してとつた言動態度は、上記第二の三の1において認定したとおりであるが、それによると、申請人宮本が八月二五、二六日の再度にわたる出社命令を受けながら二八日まで出社しなかつたこと及び同日藤川課長から出社しなかつた理由を質されたのに対してとつた言動は、その限りにおいて、就業規則七四条三号の懲戒解雇事由「職務上の指示命令に不当に反抗し、職場の秩序を乱したとき」に一応該当するものと認められる。しかし一九日に藤川課長と面接の際申請人宮本がとつた態度は右規則に云う「反抗」とまでは認め難く、自宅待機命令が勤務時間中は必ず在宅することを命じた趣旨であるとの藤川の証言は首肯できないから、待機命令自体の違反も認められない。

二、申請人山岸について。

1  (勤務成績不良)

〔申請人山岸は昭和三六年一月から倉庫係主任に就任したのであるが<省略>の証言によれば、倉庫係主任は資材課長の配下にあつて、製品、材料、消耗品等の整備、保管、出し入れ等直接倉庫に関する業務を主宰する管理職であるところ、申請人山岸が就任以後在庫の包装材料の整備状態が悪いため、現場の生産計画に従つた出庫要求に応じられない事態を生じたことがあり、また会社は同年一月以降在庫の品数量の正確を期するため、空伝票で出庫することを禁ずる旨をとくに通達したが、申請人山岸はその後も屡々空伝票で物品を出庫した事実が認められる。

2  (会社を誹謗する行為)

〔申請人山岸が九月三日放送のテレビ番組「日本の素顔″職業病″」及び一〇月三日開催の「集い」で、水銀中毒事件に対する会社の態度につき発言したこと〕は、上記第二、の二の2に判示したとおりである。

申請人山岸尋問の結果による右テレビ出演発言の部分は、八月二八日頃N・H・Kテレビ取材記者が申請人の自宅を訪れ録音録画したものであるが、<省略>の証言及び検証の結果により右テレビ放送を録音したテープと認められる検乙第一号証によれば、右テレビ放送は職業病の現実を知らせ、予防対策の必要を訴えることをテーマとした三〇分番組であり、その中で会社の水銀中毒事件の経緯が「渋谷区内のある体温計工場」の出来事として約一〇分間にわたり紹介され、申請人山岸の前判示の趣旨の発言部分は約一分間余、取材記者に対する応答の形で採り上げられている。右発言内容についてみるのに、水銀中毒罹患者が「会社からは何の補償もなく」やめてゆくとか、「しかも会社は全く水銀中毒だと云わない」と云うのは、前記第二の一で認定した会社の水銀中毒対策の実際に照して、真実に反するものと云うべく「他の医者にかかろうとすると会社は嘱託医と結託しておどかす」と云うのは、前記第二の二、三で認定した代々木病院での加療者及びこれを紹介した申請人らに対する会社の態度を指すものと思われ、その限りにおいて全く事実無根とは云い難いけれども、「結託」「おどかす」などの表現は誇張の譏りを免れない。右発言内容は全体として会社を誹謗したものと解せられ、水銀中毒の多発が会社側の工場管理上の欠陥によるものであり応急対策にも不十分の点があつたにせよ、右発言が録音された八月末頃は会社において前記のような対策をたて鋭意実施していた時期であること、<疎明―省略>によれば当時既に読売新聞紙上で三回も会社名を明らかにして水銀中毒事件が報ぜられていたので、相当広範囲のテレビ視聴者が会社名を察知して右発言に関心を喚起したと思われること等を考え合わせると、申請人山岸の右テレビ出演行為は、就業規則七四条八号の懲戒解雇事由「会社の体面を著しく汚したとき」に該当するものと云うべきである。

次に、「集い」に出席発言した行為についてみるのに、発言の具体的内容が明らかでなく、主催者、名称等から推察される右会合の目的、性質をも考え合わせて、申請人山岸の発言が会社の名誉を著しく傷つけた事実についてはその疏明がないことに帰する。

3  (上司に対する反抗的行動。出社命令違反)

申請人山岸が一〇月二五日戸沢常務、翌二六日藤川課長に対して、また一一月二〇日及び三〇日会社の出社命令に対してとつた言動態度は、上記第二の三の2に認定したとおりである。申請人山岸の右言動、態度が水銀中毒事件批判活動の故に解雇を免れないとの自意識に根ざすものであることは推察できるにせよ、多分感情に走り常軌を失した行動として、前記就業規則の懲戒解雇事由「職務上の指示命令に不当に反抗し、職場の秩序を乱したとき」に一応該当するものと認めざるを得ない。

第四、申請人らの解雇権濫用の主張について、

一、申請人宮本の解雇について、

上記第二に判示した本件解雇の経緯に照してみると、会社の戸沢常務、藤川課長らは七月末頃には申請人両名が六・一六協定に反し従業員に代々木病院で診療を受けるよう働きかけている事実を探知しており、藤川課長は八月一一には申請人山岸に対し右行動を非難して退職を勧告し、さらに同月一七日午前申請人宮本が右行動の故に組合から除名されると、午後には同人を呼んで配転が困難の旨を告げ、一九日には自宅待機を命じ、二五、二六日の出社命令に対して二八日は同人が出社したが、翌二九日には同人に対し配転不能の理由で解雇を告知している。しかし、配転不能の事情については単に他の職場の長が同人を受入れることを好まないというほかには首肯するに足る理由の疏明がなく、申請人宮本に自宅待機を命じてから以後会社において同人の配転先につき検討配慮した形跡は全く認められない。会社がその後本訴において主張するに至つた解雇事由については、上記第三の一に判示したとおり長期無断欠勤、自宅待機命令違反、反抗的態度(一部)等の点は理由がなく、その他の点についても、情状必ずしも重大とは云い難い。

会社が水銀中毒事件を会社の名誉信用にかかわる不祥事として表沙汰になることを好まないのは当然であり、前認定の同事件の経過によつてもかような会社の意図を窺うに十分であるところ、申請人宮本の前記批判活動が右会社の意図にそわないものであることは明らかであつて、これを叙上の諸点と考え合わせてみれば、会社が申請人宮本を解雇した真の意図は、水銀中毒問題をめぐつて同人が展開した前判示の批判活動を嫌悪し、これを封ずることにあつたと認めるのを相当とする。

ところで、会社の水銀中毒対策の不備については、昭和三六年六月当時すでに読売新聞紙上に批判的に報道され、労働基準監督署の検査によつても欠陥を指摘されていたところであり、申請人宮本の批判活動もこれを機に活溌化したものであつて、同人が故意に事実をまげて会社を誹謗宣伝した事実は認められず、また従業員に代々木病院を紹介し受診させた行為がたとえ六・一六協定に反し組合の統制に牴触するものであるとしても、右受診者は会社から与えられる治療、休業等の補償費につき自ら不利を招くだけのことで、会社側があえて代々木病院でなく東京労災病院での受診を固執する必要については、合理的な理由を首肯することができない。これを要するに、申請人宮本の前記批判活動は、その方法や程度において従業員としての職責にもとるところはなく、むしろ職業病の危険から労働者の人権を守るための正当な活動範囲内のものうと云べきであるから、前示意図のもとになされた同申請人に対する本件解雇は、爾余の点を判断するまでもなく、解雇権の濫用として無効である。

二、申請人山岸の解雇について。

申請人山岸が従業員を代々本病院に紹介受診させた行為自体には格別不当の点がなく、会社が右行為をとらえて問責するのはいわれないことは、上記一で申請人宮本の解雇に関し述べたと同様である。ところで、前判示の解雇の経緯に照すと、藤川課長はすでに八月一一日右行動を非難して同申請人に退職を勧告しているけれども、申請人宮本に対するように早急に解雇にふみ切ることなく、一一月三〇日職務命令違反を理由に解雇するまでの間に戸沢常務、藤川課長、菅主任らから水銀中毒事件に関する反会社的行動を改め、会社に協力するように説得し、配転の措置をも講じており、また同年九月中には会社の水銀中毒対策も一応の完了をみている。一方会社が本訴で主張する解雇事由は、上記第三の二に判示したとおり、「集い」における発言内容の点を除いてすべて一応首肯し得るものであつて、その情状において必ずしも軽微とは云えない。

申請人山岸の水銀中毒事件に対する前判示の批判活動がもともと会社の水銀中毒対策に対する不信の念に発したもので、その動機には無理からぬものがあるにしても、右活動が会社に対する誹謗行為にわたる等社会的妥当性を欠く程度や方法によることが許されないことはもとより、従業員とくに一般従業員に比し、会社の利益に行動することを期待される職制の地位にある者については、会社との間の契約上の信頼関係という面からも、批判活動の方法や程度において制約を受けることを免れない。

右に述べた諸事情を考慮すれば、会社が申請人山岸を解雇した真意は申請人宮本の場合と異なり、必ずしも前示代々木病院への紹介行為を主眼とするものではないことが窺われるのであつて、前判示のような解雇事由が認められる以上、申請人山岸に対する解雇はなお解雇権行使の正当な範囲内に属するものと云うべきであるから、解雇権濫用の主張は理由がない。

第五、申請人山岸のその他の解雇無効理由の主張について。

一、思想信条違反の主張について。

申請人山岸の尋問結果によれば、同申請人は昭和二三年頃新教派キリスト教会に通い一時キリスト教の精神に共鳴したことがあるが、洗礼を受けるまでには至らず、キリスト教に関し格別熱心な宗教活動をした事跡も認められないのみならず、会社が申請人山岸がキリスト教の精神に共鳴していたことを知つていて、これを理由に解雇したことを首肯するに足りるなんらの疏明もないから、右主張は理由がない。

二、不当労働行為の主張について。

申請人山岸は前記のとおり昭和三六年一月、倉庫係主任に就任するとともに組合規約に従い組合を脱退しているのであつて、組合員当時とくに活溌な組合活動家であつた事実については疏明がなく、組合脱退後申請人宮本と共に水銀中毒者を代々木病院に紹介したり、N・H・Kテレビに出演し「集い」に出席して会社の水銀中毒対策について批判活動を行つたことは既に述べたとおりであるが、これらの批判活動が形式上組合活動というを得ないことは明らかであり、前認定の会社の解雇事由の存在をも照し合わせると、申請人山岸に対する解雇が不当労働行為であるとの主張も、また、採用することができない。

第六、保全の必要

申請人宮本尋問の結果によれば、同人は他に特別の資産を有せず、労働者として会社から受領する賃金を唯一の資源として生計を維持しているものであることが認められ、本案判決の確定をまつていては、生活に著しい損害を蒙るべきことは明らかであるから本件仮処分はその必要がある。そして、申請人宮本の解雇当時の賃金が一カ月九、九九〇円で毎月二五日払でるあことは当事者間に争がないから会社から同人に対して解雇の翌月以降本案判決確定まで、毎月右賃金同額を支払わせるのが相当である。

第七、結論

以上の次第で、本件仮処定申請は申請人宮本については理由があるからこれを認容することとし、申請人山岸については、被保全権利について疏明がないことに帰し、保証を立てさせて右疏明を補わしめることも相当でないからこれを却下すべきものである。

よつて、申請費用の負担について、民事訴訟法第八九条、九二条、九三条に則つて主文のとおり判決する。(裁判長裁判官橘喬 裁判官吉田良正 三枝信義)

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